北川紙器印刷時代
兵庫県加西市にある北川紙器印刷。仕事のほとんどが下請けの印刷仕事。ほとんどがお菓子のパッケージや板紙の印刷。営業圏も半径 50kmくらいで済んでしまうような田舎町だったために、大手の下請けをやることで営業しなくても日々の売上が立っていました。
ある日、もう少し値引きをしてもらいたいと突然言われ、欠損だしたら自分が持ち出さなければいけなくなる。結果、どんどん追い詰められてしまい、ついにはやっていて儲かっているのかどうかわからなくなっていました。
今の印刷機は違いますが、当時の印刷機はツーオペレーターで紙を入れる側に一人と出る側に一人でやっていました。当時印刷機械が 2台あったのですが、とうとうオペレーターが一人になってしまいました。人手が足りなくなってしまったので、父親から手伝えとの命が下りました。
当時私は筑波大学でブランドの研究がしたいということで大学に残っていました。例えばアップルのマークやベンツのマークを見たら、良い物に違いないと思えたり、ルイヴィトンやエルメスでもブランドロゴが入っていると、人は価値があるものだと信頼するので、イメージとか歴史に対して価値を出していくということにすごく興味がありました。
そういう研究を大学でやろうと思っていた時に帰って来いと言われたわけです。戻るのは嫌だと言っていたのですが、最後には営業のトップと工場のトップの人とあと 5名くらいの社員が連判状を書いてきて、お前が帰ってこなかったら俺らは全員辞めると言われてしまいました。平成元年でした。
捨てられない印刷物を作る原点
捨てられない印刷物を作りたいという言葉をよくメディアなんかでは紹介されますが、これは子供のころ、年末年始に農機具の大売出しのチラシの印刷物を毎年刷っていて二つ折りするんですが、機械がなかったので、すべて手折り。家族総出で二つ折りしていました。その時に色味や見当のおかしいものをはねて、良品だけ納品するという作業を手伝っていました。手伝うと小遣いがもらえます。毎年「紅白」や「行く年来る年」を見ながらやっていました。
作業が終わってトラックが取りに来るころにちょうど紅白が終わって行く年来る年が始まっていたという記憶があり、子供心にも仕事を手伝った充実感がありました。で、色味がこっちの顔がちょっと赤すぎるとか、こっちの方がちょっと青すぎるとかで、ちょうどいいのを良品として選んで納品していました。
正月休み明けの小学校で廃品回収があり新聞紙等を回収してトイレットペーパーと交換するとかあったのですが、そんな時に年末に手伝ったチラシのゴミの山がどっと出てくる。何か悲しい気分になっていました。
うちの親父はごみを作っていると。
ある日家に帰って「何でお父ちゃんはうちの会社でごみ作ってるねん?いつも一生懸命仕事して色合わせしていてもごみ作っているやんけ?」と言ったら、親父はそれが定めだというんです。捨てられて何ぼという世界なんです。そんな記憶がずっとあって、どうしたらゴミみたいに捨てられないようになるのか、といことを保育園ぐらいのころからずっと考えていました。
それが今の捨てられない印刷物の原風景です。
入社時に社名変更と組織改革を提案しました。それが現在のグラフという社名です。
デザインという新しい分野を作ってください、デザイナーは僕がやりますとお願いしました。
はじめての仕事
仕事が無い。営業し仕事をもらったところでデザイン代が1万円とかそんなもので、このままだと駄目だと思って、そのあと2年後に東京に行くことになります。
ある日、営業部長が蕎麦屋さんのパッケージの仕事を4種類受注。私がデザインを担当するわけですが、見積もりをみると1種あたり版下代が7万円でデザイン費が5千円!
そこで営業部長ともめるわけですが、先方の社長さんとやりとりしながら
さらに聞いてみると、このデザインは1年だけではなく、3年〜5年は使いたいと言う。
50万で5年だったら償却なんて鼻くそみたいな金額です。それで 50万× 4種の 200万の仕事になりました。
富久錦との出会い
仕事を創るために兵庫県の市役所に売り込みに行きました。
地元の優良企業を紹介するタウン誌みたいなのを作りませんかと。東京で勉強していたけれど、田舎に帰ってくる人たちに地元の一般企業を紹介するような冊子作りませんかと。デザインは自分が出来ますし、取材とか全部しますからと話すと、その企画が通って、取材に行った先がこの富久錦さんです。
その時に大手広告代理店が創ったという今度出すお酒のパッケージデザインを見せられ、このデザインをどう思うかと聞かれました。僕も若かったので、兵庫県の地元の湿度や土の匂いがしません。かっこいいデザインかもしれませんけど、これ何かよそ行き着ているけど中身と外身のバランスが悪いですね、と言ってしまいました。
一緒に行っていた人がすごく怒って、
「お前そういう時は素晴らしいですねというもんや。お前みたいな素人がそんな失礼なことを言ったらいかん」
と言われてしまいました。その日はそれで終わったのですが、しばらくしたら富久錦さんの社長から電話がかかってきて、
「デザイン考えてくれないか」
と言います。実は社長さんも自分と同じことを感じていたようです。喜んで是非やらせてくださいと伝えました。それで親父に富久錦さんからマークとかラベルのデザインを刷新する仕事の注文もらえそうだと報告すると、親父が無茶苦茶怒って、
「天下の富久錦だぞ。加西市で一番の名門老舗でそんなものをやって、蕎麦屋は誤魔化せたかもしれないけれど、そんな仕事をやったら加西市の恥になる。頼むからお前断れ!」
と言われてしまいました。それで断りに行ったのですが、見積だけでもしてみてくださいと言われたわけです。
どうしてもと言われ帰ってきた見積をしていると、親父がお前断ったのと違うのか、とまた怒られて、それで普通に見積していたら親父が来てゼロを二つ増やせと言うんです。
「向こうもよい人だからありがたい話だけれど、金額見たら相手も絶対断るからゼロ多めにしとけ」と。
それで 2,000万円と書いて持っていきました。すると、見積もりを見ていて
「まあこんなもんでしょう」との返事。
帰ると親父に、「どないやった?」と聞かれ、
正直に話すと、まためちゃくちゃ怒って、
と言われて、もう一回先方に行きすべてを告白しました。
グラフに社名変更したのは実は自分で、デザインも自分でやりたいと思っていろいろやって、自分はまだ駆け出しだけどグラフはすごいとか何とか言ってました。
信頼のおける才能ある先輩がいて、ただ人見知りするので表には出ませんが、デザインはその師匠のチェックを受けてばっちりですとか言ってたのですが、実はそれは全部嘘でした。ただグラフは本当に世界を目指しています。
会社を改革していく過程で、北川紙器をグラフに変えるというのが富久錦の社長には不思議だったようです。どこかのコンサルが入ったのか、と思っていたと言われました。で、君が考えたのか?と聞かれので、自分ここで一生終わりたくはありません。東京で一旗揚げようと思っているから、蕎麦屋のおっさんにも初めてやったって言える権利を認めるかわりに仕事もらったりしていました。そんな話をすると、
「じゃ、二つ目の仕事はうちでやってくれ」
と言われてしまいました。
それで帰ってきて本当のことを全部言ったら、親父と社長と常務に殺されそうになってしまいました。
そのまま仕事部屋に行って、ロゴマークを作り始めました。これが25歳の時です。
あれから 25年ほど経ちますが、相も変わらずずっと仕事させていただいています
東京進出
当時は写植の時代。そしてMacが出始めました。当時は書体数も少なく、自分の思う通りのデザインが出来ない。それで思いついたのがイラストレーターでフォントを作るっていうあほみたいなことを考えました。フォントグラファーというソフトもあって、それで普通に平仮名やローマ字打ちしたら変換できるようにして、書体を作りました。今思うと気が遠くなるようですが、そういう方がまだましだと思っていました。写植だったら文字の限りがあるんですが、自分で作るものですから写植にはない文字も作ってしまうんです。それを全部イラレで作ってアナログっぽく見せるノウハウは結構自分にあったんです。Macは、書体が少ないというだけでなくて、線も誰が引いても同じ表情なんです。それをアナログっぽい感じで作って、アナログ製版なのかと見間違えるくらいに使いこなしていました。これで奇跡的にJAGDAの新人賞をいただきました。
東京での営業
東京での営業のために1日50件を飛び込み営業していました。
50件というのはいかに門前払いかという話です。ずっと飛び込み営業をしていた時に今日の会場のTooさんにも仕事何かいただけませんかと訪問しました。
そしたら何かパッケージのデザインの仕事をちょっと考えてみろと言われ、実際に仕事をさせてもらった方がそこにいらっしゃるので、びっくりしています。
当時、儲からなかったから事務所たたむという話になっていました。
富久錦の仕事は兵庫県でもできるから東京の事務所はあと半年以内に閉鎖すると言われていました。
そんなときにいただいた仕事ですから、実はうれしいけど悲しかったですね。
それで見積書に数字を入れていた時に、どうせあと半年もしないうちに閉鎖すると思って、数字を書くのをやめて白紙の見積書を持って行って、渡したんです。
そうしたら一個50万か60万くらいだったと思います、それを7つほどもらって、自分にしたらえらい金額で、大喜びしていたら、君はこのぐらいの値打ちの仕事してくれると思っていると言っていただきました。それで喜んでFAXで本社にこの値段通ったと伝えると、すぐ電話かかってきて、
「お前、東京で詐欺にあってるんだろう」
そんな時代でした。
印刷の色合わせ
技術的なことでやり始めたことが、印刷屋さんの仕事はというと色を合わす仕事なんです。しかし紙によって色の出方が影響するので、なかなか合わせるのが難しい。
パントーンさんが出しているチップがありまして、日本でいうとサテン金藤という紙に刷ってある色見本です。配合比率もパントーンさんは公表しているので、この配合比率で刷ったら同じ紙だったら同じ色が出せる。紙がロベールや上質紙とかアラベールなどに変わってくると、オレンジ色がぶれてきます。こういうのはドライダウンと言って、刷った時はほぼ一緒です。それが油性インキだと酸化重合と言って、1日以上乾燥するのにかかりまして、その間に変化してしまいます。刷ったばっかりの時は良くても、乾くとなんじゃこりゃとなります。これがまあ印刷屋泣かせです。これは紙がロベールだから色が違ってくるんです、と営業が言ってお客さんに納得してもらうのが現実だと自分の父親に教えてもらいました。でもこれだとデザイナーの人とかクライアントさんは
「なんやもう色合えへんし、これしかあかんのか」と思ってしまいます。
そこで紙が違っても同じ色、もともと思っている色を出せるようにしたいと思いました。
ロベールなんかはだいぶ色が薄くなっちゃう傾向があるので、本来このインキを作らないでもっと派手なインキを使って刷ったら、乾くまでにきちっとした色になる、要は4種類のオレンジ色を作ったらええのやといってやったんですね。4種類のインキを作って同じ色になるようにしたわけです。この様々な配合データを今もずっととっています。それでいま25、6年作っているのでものすごい量があるわけです。パントーンさんやDICの見本帳に載ってない色ばっかりいっぱい持っています。これが今や弊社の一つの財産になっていまして、この色とこの色の間の間の間とか、白ベースとか金ベースとか銀ベースのようは不透明系の色と透明の色とか、グロス系マット系の色、二次元の色とかだけなくて、質感までも全部分けて色を全部管理しています。これを最初隠れてやっていました。印刷場の端っこの方で。そしたらオヤジに見つかって、
これ、他の印刷屋さんからもいらんことするなあって言われ、めちゃめちゃ叩かれたんです。で、こういうのは合間に、というか仕事がなくて暇だったからやれたんですね。
それが今や結構役に立っていて、実際の例でいうとあるファッションブランドで表面がベルベットみたいな質感の紙を使うデザインをデザイナーさんが考えていたのですが、4社ほど見積でグラフも見積してみいって言われたら、他の3社はその出たての紙で実績がないから1、2ケ月テストさせてもらって、それから返事させていただきたいと言ったようです。グラフはその紙が出た時に面白い紙だと思いインキで刷ってみたり、製本行ったらどうなるだろうといろいろと体験済みでした。結果、納期の見込みがあったのは弊社だけでした。値段も人並みの話だったと思うので、まあ取れたわけです。
またある20万冊ぐらい作る仕事で紙が特殊な紙だったんです。その紙を大手さんと競合だったんですけど、大手さんは紙屋さんをおさえるんです。
グラフですけどあの紙20万冊分の量あります?すいません欠品ですとの回答。どこへ頼んでもありません。それで思いついたのが表面にそういう加工、印刷したりとかエンボスしたりとかすればいけると思ったわけです。ただ、その紙を20万冊分エンボス入れて動くと絶対ばれると思ったのでわざとらしく、八百屋のパッケージ用で10万枚欲しいんですけどとかケーキ屋のパッケージで2万欲しいんですとか、いろんな嘘ばっかり言って仕入れて表面を加工したわけです。
当時、東大阪の印刷屋さんを訪ねて、印刷技術を教えてくださいと聞きに行っても、まあほとんどの会社が、同業の会社には教えてくれません。
と言うと、なんかおもろいなあ言って、それで教えてもらったりしていました。
印刷機でハイデルベルグさんといってドイツの機械なのですが、ここの機械なんかは自分にとっては使い勝手が良く、それをカスタマイズしてかなり特殊な仕様で納入してもらっています。ちょっとマニアックな話なんですが、機械が二台あったとしたら、皆さん電気屋さんへ行ってテレビ見たら同じワールドカップの放送をしていたとしても、芝生の色がモニターごとに違いますよね。
印刷機も同じメーカーの同じ機械を買っても、最初刷ったら、毎回ピアノの調律みたいなことをしないと色がぶれてきます。それを印刷機のAもBも同じデータをポンと投げて刷ったら同じ色が出るようにいつもしているんです。こういうことをやっておくとどういうメリットがあるかというと、印刷機は 1時間に 1万〜 1万5千枚くらいすれる機械なんですが、2台同じ調子にしておけば、2倍の量が刷れるわけです。
今 5台の印刷機があるんですけれど、印刷機にはそれぞれ癖があります。
まず標準をピタッと引いて全部同じ状態に保てるように調律しておき、そのうえで、その癖、個性を利用しようと考えなければいけません。だから、型破りという言葉はいったん型を覚えてそれを破ると言うらしいのですが、一旦印刷の基本のところを揃えていおいて、そこからちょっと変わった振り方するとかをしているわけです。最初からトリッキーにやってしまうと収集がつきません。1回は刷れても2回は刷れないです。
技術とセンスと翻訳能力
普通でしたら DICやパントーンで色の指示をしますが、最近では現物で服とか持ち込まれたりしますよね。例えば糸が届くんですけど、オレンジ色のトーンで、そこに書いてある文字の色と糸の色を一緒にしたいと言われる。そこでオレンジの色をA・B・C・Dと作ります。普通の人にとってはどうでもいい話なんですけど、こういうのを求められる。
ひどい話だと紅葉の色にしたいと言って葉っぱが届いて、次の日になったら色が変わってくるんです。それとかワニ革みたいなのにしたいといって、革が届いたり、この間やったランジェリーのカタログでは、女の人の下着が山ほど届いて、それを製版の職人がずっとまじまじとパンティーを見ながら色を合わせしていたりとか、結構普通の人が見に来たらキモいです。
空気と水以外は何でも刷りますと言ってしまったものだから、石が来たり砂が来たり、下着が届いたりとかしています。でもやっぱりこう布とかになると質感がある関係で立体的なんですね。石なんかも見えるところによって色が違ったりするので、要は立体的なものを二次元に落とし込む時にどういう風に間引いていくかが大事で、
<技術とセンスと翻訳能力>
が必要になります。
この 3つが正三角形になっているのが理想で、技術があってもセンスと翻訳能力が無かったら駄目なんです。技術というのはその通り印刷技術。あとセンスや翻訳能力というのが大事で、デザイナーさんが、
「ちょっと空をニュートラルな感じにしたい。グレーをちょっと抜けをク−ルな感じにしたい」
といった感じで話します。印刷の現場の職人は何と思っているかというと
「わけわからん」
と思っているわけです。で、ニュートラルって何?みたいな、クールにってわからない、シアン何%マゼンタ何%って言ってよと言います。だからデザイナーが言っている宇宙人みたいな言葉をちゃんと数値化できる翻訳能力というのが大事で、日本語を英語に直すみたいなものです。それでその時にセンスが必要です。センスって何かと言ったら、若い子がGパン穴空いているのを履いていて、年寄りの人だったら
「お前金ないのか」って言うか
「おしゃれだね。ビンテージだね。」って言うかの違いで、印刷もきれいだったらいいというものではなく、わざとラフに仕上げる、新聞紙みたいな紙に刷るデザインが格好いいのがわからなくてはいけません。コート紙でもピカピカの紙にしか刷ったものしか格好いいとしか思わない印刷の職人はだめで、往々にして技術の凄さを見せたくて印刷の見本展示会とかに行くと箔二重押しみたなのとかあるんですけど、そのグラフィックが超ダサいとかあるでしょう。
そういうのを弊社はセンスと翻訳能力を合わせて、デザインが判って刷ってますとなりたいわけです。
私は印刷の段階になったらインキ塗って、刷ってとか、やっています。文句あったら刷ってみろと言って職人が偉そうに言うなら自分で刷るわけです。
たとえば葛西薫さんのポスター刷っているときに自分たちが一気通貫でわかっていたら、何でこういう色にするのかということをいつも話しています。
写真家だったら森山大道さんと荒木さんはこういう人でこういう考え方で、こんな感じでピントをぼけた感じにしているんですと言わないとわからないわけです。
そういうのをいつも現場と話し合いをしながら作っています。
最近、デジタルデータになっていますからその元データをどういう風に見立てるか、解釈のセンスがすごく重要で、もともとのデータ入稿のまま刷ると濁った感じになるが、デザイナーのイメージはゴールドにしたいというのですが、元データのままで刷るとちょっと青黒くなってしまう。それを色補正する、そういうセンスが必要なんです。イメージのリンク。データ通りでやったらちょっと思ったのと違うなという、そこの間引きの仕方、色の振り方というのが製版の肝で、むしろ印刷というより製版が肝なんです。製版者のセンスというのがデザイナーのセンスと一心同体になってないとだめだと思います。
グラフ イエロー
グラフでは「グラフ イエロー」と言って、蛍光の黄色を弊社のコーポレートカラーにしています。これには理由があって、ひとつはまったく無名の会社何で、山手線とか乗っているときに封筒持っていると超目立つとか、とにかく目立ってナンボと思っていたので、目立つ色。もう一つは色の管理への思い。
蛍光の黄色というのは印刷の色の中でもかなり刷りにくい色なんです。
道具の手入れを100%やっていないと、この色は濁ってしまいます。会社の封筒とか名刺とか全部にこの色を使っていて、今日も名刺いっぱいいるので名刺配ろうと思っていたら、名刺がなかったんです。名刺追加と書いて明日追加してもらうと、普段からこれがリトマス試験紙になっていて、へたくそな色でだしていたら刷直しと言って、始末書とか書かせるから、品質を一定レベルに保たせ検査できるようにこの色にしています。
DICの590というのが、当時一番派手な蛍光の黄色だったのですが、インキメーカーさんと侃侃諤諤しながら「グラフ イエロー」という色が作れるように各社頑張っていただき、今ではグラフの黄色と似たような色が販売されています。
デザイン
自分は印刷に興味があって、デザインにも興味があってと話していますが、手繰っていくと、人間に興味があるんですね。最近はコミュニケーションを誘発する仕組みを考える仕事をやりたいと思っています。
さて、北川さんはどういう時にアイデアを思いつくんですかと聞かれたりします。
富久錦の場合でしたら、新幹線乗っていて次は岐阜羽島と車掌さんが言ったら、ポワンとあのマークが思いついたんです。それを紙に書いて、会社へ帰ってトレースして作りました。プレゼンの時に
「車掌さんが岐阜羽島っていうたら思いつきました」
と言っても絶対通りませんから、いろいろ理屈を言うわけです。紅葉の色の赤ですとか、地元が紅葉の名所なんでね。富久錦の富久という字が隠れています。これはひらがなのふと中の羽みたいなやつは鏡に映したら久なんです。鏡写すのは企業というのは前ばっかり見ていてもだめで後ろばっかりでもだめで、バックミラー見たり、鏡で会社の状況も俯瞰して見ないといけないという意味があるので、鏡文字入れて富久という字が隠れているとか、純米酒は全部米で作るので、お米のイメージとか、樽が積んであるイメージとか、そういうところは理屈の部分とつながってる部分もあるわけです。
ただ思いつく時はそんな理由はパッと思いつくんで、直観とロジックが両方なんです。
創造の源泉
人間というのは意識しているのは1割で無意識が9割と言われています。
無意識というのは何ですか、というと、じゃあ今から心臓止めてくださいというたら止められません。心臓も無意識の領域で、脳みそも寝ている時ずっと動いています。
だから、意識をめぐらしてデザイン考えるというのも1割部分を使っているだけ。
情動とか感情とか、悲しい気持ちとか嬉しい気持ちというのも無意識で、自分でコントロールできないですね。よっぽど修行している禅の坊さんとかああいう人はある程度コントロールできるみたいですけれど、きれいなお兄さんやお姉さんや好きな女優さんがきたらドキドキするとか、こういうのも無意識です。人間が考えることですからどうやったらデザインを思いついたりできるかという時に、赤色のところと青色のところのレベルを上げていったらいいと思うんです。矢印で左右に伸びているのは輪ゴムを左右から見たイメージだと思ってほしいんです。この部屋が自分の頭の中だったとして、これがこの端っこの方に富久錦のマークを思いつく相手があるとしたら、それを輪ゴムのテンションをかけないで一つづつローラー作戦でやっていったら、いずれどこかであたるかもしれない。
ただ時間と手間がかかる。それを無意識の方のやつをギュッと引っ張って、無意識の方もギュッと引っ張ったらめちゃでかい輪になって、それでボンと網かけたら、どこかギュッと縮めてくるとどこかで当りが見つかるという自分のイメージなんです。だから、昨今プレゼンで「勘で思いつきました」と言ったらまず通らないですけど、直感と言うのも重要なアイデアソースで、それを理屈と結び付けられるところが筆の置き所だと思う。
だから、勘だけでもいけないし理屈だけでもいけないと思う。
意識下:A=B,B=C,∴A=C
AとBが一緒でBとCが一緒なら、ゆえにAとC同じ。
中学校くらいで学びますよね。これはすごく人間らしいというか意識そのままでこれはロジックなんです。うちの財務担当なんかはどちらかというと、A=Bというやつで考えて、未来を予想しちゃうし、銀行の人は社長是非投資をとかいうんですけど、自分が急に気が狂って、裸踊りし始めたらどうします?と聞くと、
「そんなことするわけないでしょう」
「するかもよ」と私は言うんです。
自分はこの感性の部分とロジックの部分と両方合わさって、人間という生き物だから、アイデアをどっちも検索すします。そうすると結構見つかりやすいです。
社員に言うんですけどピンとこない人は全く来ないんですね。でも、これで最近ちょっと考えがさらにバージョンアップして、言葉というのがロジックで、言葉以外の物はすごく動物的な直観的なもの、だと思ったんです。
でも実は言葉もかなり芸術性が高いなあと最近遅まきながら気づくようになってきました。それはただ、コミュニケーション、意味を伝えるだけの日本語や英語だけではなくて、感動するフレーズってあるでしょう。たとえばコピーライターとか名セリフとか落語なんかの一番グッとくるところなんか、そういう情動に訴えかける、
IPS細胞やとかアインシュタイとかの理屈はよくわかりませんけれど、ああいう普通の人が思いつかないような理論とかも非常に芸術性が高いと思うんです。だから言葉も実は両方あって、ロジカルな部分と非常に抽象性の芸術性の高い部分の両方あるなあと最近気づきました。
変なホテル
7月頃オープンするんですけど、全部ロボットでやるホテル。
受付も全部100%ロボットです。受付のところにもアンドロイドがいて、荷物運びやアームロボットがいたりする。掃除も全部ロボットでやるそうです。もともとスマートホテルという名でハウステンボスさんは考えていましたがダサいと思ったんです。スマートフォンとは言わないでしょう、スマホというでしょう。だからナウいというのも昔流行っていたんですけど、今言ったらキモいと言われてしまいます。だから、言葉というのは経年変化を起こしやすい。特にはやりの言葉を使うと。
ロボットホテルという名前もあったんです。ロボットを使うというのは今でこそニュースになってますが、そのうち掃除はロボットが当たり前となると、ロボットホテルってつけてることがダサくなってくる。それでつけたのが「変なホテル」。
これは変わり続けることを約束し続けるホテルという意味で、変なホテルと命名しました。この名前を提案したら10人中10人全部却下されて、大変だったんです。
ロボットをどんどんバージョンアップしてくるとか、エネルギー効率を通常のホテルの50%でやれるようにするとか、最新の技術を使っています。でも、最新と言ってもパソコンでも携帯でもどんどん最新の最新が出ますから、それをバージョンアップしていかないといけない。変わり続けることを約束するホテルにならないとだめなんです。
最初変なホテルでなくて「変わりつづけることを約束するホテル」っていう名前にしたらどうですか、というアイデアも出たんですが、名前が長すぎるというのと、あまりに当たり前なんですね。企業努力をしますっていうのは。だから自分がやりたかったということは確かに変わり続けることを約束するホテルけれども、この「変なホテル」っていうのは、お客さんがあれってどういう意味?と思わせるようにさっきのコミュニケーションさせる仕組みというのをホテル名で提案したいなあと思ったわけです。
ハウステンボスの澤田社長が世界一生産効率の高いホテルを目指すって言ってたから、世界一生産効率の高い広告を目指すっていう。まあ変なホテルってつけると、まあほとんどのお客さんがどこが変なのと聞いてくる。本気でキモいホテルを作ろうと思っているとは思えないでしょ。そんな自殺行為をする企業がないから、運営する側はビビるんです。
でもちょっと考えてほしいのは相手とのコミュニケーションなんで、自分らがどうかではないんですね。
まあ、自分の昔の営業経験で1日50件門前払いの時に一番苦労したのが、話を聞いてくれないことです。
印刷めちゃ出来るんですと言っても、聞いてくれない。でも有名な何とか印刷です、ああよく知っている、やろうってなるんです。ブランドがあるとか、こんな「変なホテル」っていう名前にすることで、相手が耳を傾けてくれるんです。そんな営業は楽なんですよ。50件中興味持ってくれたところが数社で、向こうから話を聞いてもらえるというのは一番いいんですね。
スマートホテルっていう名前にしてもHISさんが新しいホテル出来ましたって、営業するわけです。広告もするから、その時にどんなホテルなんですかって、向こうがワクワクして聞いてくるとか、ワクワクせんでもどんなホテルですかと聞いてくれたら、相当広告の営業効率は高い。
いま取材が海外のテレビ番組を含め様々なメディアに取り上げてもらって、最初反対していた人たちも、名前これにしてよかったって、ホント信用できない人ばかりです。
これは蝶々で、何で蝶々かというと、蝶々は完全変態するわけでいいなあと思ったわけです。日本の国蝶オオムラサキというのは新種として日本で初めて発見されたんですね。
日本のホテルで世界に打って出るということから、こういう大和絵独特の書き方で漫画日本昔話のオープニングでこんなの出てくる雲みたいな霞で、これは竹で日本や東洋を表すシンボルで、そういうのを合体した蝶々のマークです。
プレゼンの最後にクレヨンしんちゃんのケツの絵ですと言ったら、それにしか見えないと言われました。
ホテルには小さい子も来ます。小さい子だけでなくて、何かニックネーム付けられたり、何かある種擬人化されたり、しんちゃんのとか愛着もたれていいなあと思っていて、いつもどこかでふざけてしまいます。
六本木アートナイト
2010年の仕事で夜通し六本木にある美術館全部が 24時間朝から晩までアート展、美術館が開いている。それを広告してくださいと言われました。六本木アートナイトの目指しているのは50万人以上来場が来ることでした。50万人以上呼ぶとなった時に、アート関係の人たちを全部呼んだところでまあいいとこ何百人、グラフィックやプロダクトや建築やとか、音楽やとかのそういう関係の各種団体に言ったところで数万人。だから50万人呼ぼうと思ったら、アートに興味がない人を呼ばないと成り立たない。六本木でアートっぽいポスターは「私の世界じゃない」と思って来ない。
まだ息子が小学校の時に漫画のワンピースが好きで、掲載誌の少年ジャンプを買ってきてと頼まれ買いに行ったら、ちょうど40歳くらいのお兄さん、サラリーマンが最後の1冊パットとって手に取ってレジに向かったんです。思わずその本譲ってもらえないですかと言ったら、駄目ですよと言われて、また別のコンビに行ったんですけどね。
その時、はっと閃いて子供にも受けるしサラリーマンの40歳くらいの人にもうけるっていうのは漫画っぽい感じやなあと思ったわけです。たまたま六本木アートナイトに参加する椿さんというアーティストの出展作品の完成予想図があって、それが漫画っぽかったので、これをメインに使って、美術大学絶対落ちますみたいな丸ゴシックで影文字ってタイポグラフィーをして、アニメとか漫画っぽくしました。六本木アートナイトのマーク、これも不必要に大きくして、こういうチラシ、フライヤーの裏面、大きいのは表すのに矢印入れて、何と13mと!マーク入れて、この書体もモリサワさんのフォントで誰も使わないような書体を使いました。もっとひどいのはこのチラシなんですけど、春にやるので桜を散らして吹き出しにしてマークを入れて、すごくダサくしたんです。Webサイトも格好いいのはすべて無しで、ただペタッて貼るだけにしました。やるとツイッターとか、当時めちゃめちゃツイートがあって、なんじゃこれ?と話題になりました。デザイナーの人からはお叱りがあって、「デザインなめとんのか」とか言われました。
銀座のアップルストアで講演した時に、慶応大学の女の子から質問が出て、
「よくあんなダサいのを通しましたね。あんなダサイのすごく勇気ありますね。でも私にはすごくおしゃれに見えるんです」
と言われました。アメリカ人からみたらここに歌麿の絵が描いてあるとか握りずしのイラストが描いてあるTシャツがおしゃれだったりします。だから、デザイナーのみんなもデザインに呪縛してませんか、みたいなのが裏テーマにあって、グローバルから観たら世界的にみてアーティスティックだけど、日本の中だけでみるとダサイとか、こう見立て方によったら、結構面白いと思って作ったんです。それがツイッターの中でいろいろな議論が出て、結局、紙媒体のポスター5000枚とフライヤーを15万部刷って、ホームページ出しただけだったんです。そして70万人来て、過去最高でいまだに塗り替えられていません。
ルドン展覧会
それで味をしめて、もう一つやったのがルドンの展覧会のWebサイト。これは三菱一号館美術館の高橋館長以下学芸員に呼ばれて、
「北川君アートナイトすごかったねえ。是非ルドンも広告したいんだよ」
普通の人にルドンって知ってる?と聞くと、それ温泉?恐竜でしょう!それはラドン・・とか言われるわけです。フランスでは100年前の人ですが超有名な人で、でも日本だと誰も知らない。
グランブーケという絵を三菱一号館美術館が買ったわけですが、買ったけど展覧会で誰も来なかったら、えらいことになるから頼むと言われたわけです。
ルドンって有名な人なんですけど、日本ではあまり知られていない、はっきり言って誰も知らない。ピカソとかゴッホとか、歌麿や北斎だと知ってるけど、あまり知名度の無い人をどう売るかっていうのが、テーマになったわけです。
またその時「これ絶対入れてください」と言われたタイトルが最悪で「ルドンとその周辺、夢見る世紀末」
誰が来るの?と思ったので見えないように入れました。
このルドンの時に思ったのが、見て見てと自慢したらいけないってこと。
これは知らないルドンを見てくださいではなくて、あの幻のとか、やって来たとかね、やったねえ、とかにしたら、知らない自分が恥ずかしいと思うんです。古典なのにこんな感じの書体でこんなむちゃくちゃやると、なんか古典さがないじゃないですか、何か知らない自分たちが恥ずかしかったみたいな広告にしたかった。一言でいうとパンクな広告にするというのがテーマです。調べると水木しげるさんの目玉おやじはルドンの絵が元ネタだになっている。すごい抽象画です。まだピカソが登場してない頃、実はルドンはピカソより前に抽象絵画を描いていたんです。ピカソも具象から抽象に変更していったのですけれど、ルドンもいろいろなスタイルに変えてしまうんです。そういう人ってパンクです。100年たって有名になって、今はいろいろな現代美術を見慣れているから、こういう絵を見ても、そんなに新しいとは思わないけど、100年前に彼がやってきたことってすごいアバンギャルドなんです。だからルドンの本質からするとこれぐらいはっちゃけてる方がいいですよ、と言ったら、高橋館長は実はルドンに造詣が深い方で、まさにルドンぽいねえとかなったんです。
周りの学芸員とかは「おいおい・・・」とかなったんですけどね。
グランブーケってこの絵のタイトルですが、これは最初は明朝体にしてたんですけど、グランブーケもロゴ作って、何にか神楽みたいなロゴみたいなわけのわからないのをと言われて、こんなのになっちゃった。
今回はホームページと駅貼りの広告で展開したんですけど、ツイッターがすごかった。
コミュニケーションを誘発する仕組み作りとしてツイッターで各々がルドンて何といったような、ツイートをしたわけです。ルドンてこんなのとは違うという話と、いやいやルドンはこういう人ですよとか、ルドンを知るツイートがどんどん出てきたんです。
僕は石を投げる位置に興味があるのではなくて、その石が池にはまって波紋がどういう波紋になるかに興味があります。
このデザインは、はっきり言ってダサいです。JAGDAとか出したら多分0.1秒で落ちます。でも、これによってルドンってどんな人かという興味が広がっていきました。
ルドンの研究っていうのは断片的にしか知られていません。だから、ルドンの写実的な絵を研究している人と抽象的な絵を研究している人で、二人ともおたくだからあまり交流していないので、写実的な絵を研究している人はルドンを冒涜していると怒るんです。アバンギャルドなルドンを知っている人はまさにルドンぽいと言って、二人とも超ルドン好きだからお前の言っているルドンは違うんだとかでめちゃ喧嘩して、そこに高橋館長がリツイートして、炎上しちゃったんですけど。
一般の人がルドンてなんなの?ということでそういう騒ぎになってしまって、三菱のサーバーもパンクしそうになりました。それを新聞社が結構なスペースを割いて書いてくれるもので、広告代払ってないのにいっぱい広告してくれたんです。テレビでも取り上げてもらって、あのポスターないですよねとか言われて、ルドンを知ってもらえました。
でも、カッコいいものもデザイン出来るんですよ!
柿の種の名刺
亀田製菓から仕事が来て、柿の種は儲かっているけれど、社員が毎日柿の種を売っていて何だか覇気がないと言うので、名刺作りましょうって言ったんです。
名刺 1枚 1枚を柿の種の袋に入れる。ベリッと破ると中から柿の種とピーナッツの顔が出てくる。こういう名刺を作ったんです。これを渡すとみんな笑うんです。なんだこれ?いやこんなの作ったんですよというと受けるから嬉しいですよね、営業の人も。話が弾むんです。
唯一女性社員には不評で、でもうけるっていうのが伝播していって、最近社長も女子社員もみんなこれになった。そういうコミュニケーションを誘発するのが、格好いい名刺を作って仮に欧米風なおしゃれなものを作っても、こういう引きはないです。そういうのを最近やっております。
以上でセミナーは終了しました。